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写真提供:昭島市

住んでみたい、住み続けたい、訪れてみたいまち 昭島

昭島市は、都心から西に約35キロメートル、東京都のほぼ中央に位置し、東・北は立川市、西は福生市、南は八王子市・日野市に接しています。面積17.34平方キロメートル、人口は約11万人を数え、多摩地区の中核的な都市として順調な発展を続けています。

●歴史

北側に広がる立川段丘から南の多摩川に向かってなだらかな傾斜が続き、豊かなわき水にめぐまれたこの地には早くから先人が住み始め、その暮らしぶりは縄文早期の土器や住居跡に見ることができます。戦国時代、多摩川の対岸に滝山城が築かれると、市域、わけても拝島は城下町のような性格を帯び活況を呈します。江戸時代には、八王子千人同心が日光東照宮までを往還する日光街道の要衝にあたるため、拝島を中心に宿場として栄えました。

この頃から明治初期にかけて、市域には、東から郷地村・福島村・築地村・中神村・宮沢村・大神村・上川原村・田中村(作目村を含む)・拝島村の9か村がありましたが、明治22年の市制町村制により9か村での組合村となり、同35年には拝島村が分離独立し、その後、残りの8か村は合併して昭和3年に昭和村となりました。明治末には製糸工場が相次いで操業を開始し、また大正時代には市域一帯が桑園化し、蚕種の生産を中心に全国屈指ともいえる養蚕村となりましたが、昭和に入り生糸価格が暴落し、さらに満州事変や日中戦争勃発による日本の戦時体制強化の中で立川飛行場に近かったため航空機を中心とする軍需工場と陸軍施設が相次いで建設されました。このため人口も急増し、特に軍施設が集中した昭和村は昭和16年に昭和町となりました。 戦後、東京の復興に伴い、市域でも年を追って新たなまちづくりが進み、昭和29年5月1日、北多摩郡昭和町と拝島村が合併し、東京都で7番目の市として誕生しました。「昭島」という市名は、この2つの自治体名を合わせて命名されました。このときの人口は、36,482人でした。

市制施行後は、工場誘致により産業が振興されるとともに、都心への通勤圏に位置することから大型団地も建設されました。昭和62年には人口が10万人を超える都市となりました。

●アキシマクジラ

昭和36年の夏、市域の多摩川で約160万年前のクジラの化石がほぼ完全な形で発見されました。これにより日本がまだ大陸と地続きであったであろう頃、昭島市の周辺が古東京湾の波に洗われる海浜であり、多摩川の河口となっていたことが想像されます。このため、昭島市では、クジラが描かれたマンホールや街灯をはじめ、さまざまなクジラのモチーフを目にすることができます。

●深層地下水100%水道水のまち

昭島市の水道水は、事業開始から一貫して地下水のみを水源とした深層地下水100%の水です。現在、東京都で、深層地下水のみを水源としている自治体は、昭島市だけです。

昭島市:市の概要

 

昭島市公式キャラクター「アッキー&アイラン」

平成26年10月1日から昭島市公式キャラクターになったアッキー&アイラン。

男の子(青)「アッキー」、女の子(ピンク)「アイラン」。種類は「アキシマクジラ」。住んでいるところは「ムカシアキ島」。多摩川の底の、どこかにあるらしい。クジラ小学校に通う小学生で、同じクラスの仲良し。

昭島市の魅力発信のため、がんばりますので、応援してくださいね。

昭島市:クジラのプロフィール

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